お客様の声

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※個人の感想です。

「夢を求めて」 長野市 M.K様

       

私が補聴器使用を決めたのは職場で会議中の出来事がきっかけとなった。

 

働いていた介護施設では週一回定例会議が開かれており、現場を中心に経営者側も出席していた。会議室には木製で楕円形の机が置いてあり、周囲を対面式に椅子に掛ける、丁度真中が私の席、対面する人が八人、両側に四人ずつ、端の人とは二メートルほどの距離がある。

 

その日は行事に関する具体的な内容が検討されていた。出された資料について質問があり、その質問に答えた人の言葉が聞こえてこない。直ぐ聞き返したがやはり聞き取れなかった。その人の声は低く幅広い。途中で空気の中に消えてしまう。会議が済んで隣の人に尋ねた。「天気の悪い時には配車の準備を」との内容だった。ショックが大きかった。それでもすぐ補聴器使用へは考え及ばなかった。

 

自律神経障害による難聴と診断され、通院治療を始めて一年余り、医師からの勧めもまだなかった。いずれ治るだろうと思い、その人には大きめの声でと、丁重にお願いした。

 

しかし、日が経つに連れ言葉として語尾まではっきり聞こえない人の数が増えてきた。

 

介護の現場では、相手の側で話すことには支障はなかったが、背後から、又広い食堂などでの話しかけには反応が鈍くなってきた。不安で不眠が続き、長野補聴器センターで補聴器を作製した。

 

さて、補聴器使用は即悩み解消ではなかった。様々な声の質や場所によって言葉の入り方が違うため調整に数ヶ月の時間を要した。雑音も耳障り、慣れる迄根気が要る。この辺でいいことにしておこうか、年齢相応かも、と何回も自問自答しつつ。それでもはっきり聞こえないと、これから生きていく行動範囲が狭くなってしまうのではないかと思い調整に通った。

 

ある日、自宅へ電話が掛かってきた。上司のAさんからだ、一瞬緊張した。Aさんは普段から声が弱く静かに独り言を囁いているような声の持ち主。このところ言葉を受け止められない人には、その都度FAXでと、お願いしていた。ところが、心配したAさんの話を最後まで聞くことができ、受話器を置いて思わず一人で拍手した。

 

今迄、話す人の言葉は聞こえてあたり前、障害を持って初めて言葉が伝わるうれしさを噛みしめた。

 

振り返って四年余り、聞こえない事実を周りの人へ伝えていくことから悩みが解決方向に動き出したように思う。今では補聴器なしの生活は考えられない。残された人生、新しいことへの挑戦に夢をふくらませている。

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