お客様の声

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※個人の感想です。

「余裕の選択」 長岡市 M.I様 

 現在91歳、長野で一人暮らしをしている母のことをお話したいと思います。母と補聴器センターをお訪ねしたのは七年前84歳の頃でした。当時、母の耳はかなり悪かったと思うのですが、周りが思うほど、本人はまったく不便を感じていない様子でした。テレビの音がどんなに大きくても一人暮らしには何の問題もありませんし、「聞こえないこと」は「ないこと」と同じですから本人には何のストレスもないのです。

 はっきり言ってストレスを感じていたのは周りの私達の方でした。言いたいことだけ言うと電話は一方的に切られてしまうし、孫たち(私の息子達)は「口の中でモゴモゴ話してないではっきり話しなさいよ!」などと教育的指導を受ける始末、聞こえないのは自分の耳が悪いのではなくて、息子たちの話し方が悪いからと思っているようなのです。そんなある日、道路の向こう側で友人と立ち話をしていた母が、私を見つけて道路を渡ろうとしたのです。その時、母の後ろで車が急ブレーキを掛けて止まりました。でもその事すら気が付いていないのです。耳が悪いという事は気配も感じられないということなんですね。具体的な危険を、目の当たりにした私は、その足で母を連れ補聴器センターに向かいました。母の補聴器に対する認識は「ガーガー雑音がして結局外してしまうらしいわ」とか「調節が面倒なんですって」とか、「おしゃれな感じはしないわねえ」等とあまり良いものではありませんでしたから、わたしに無理やり連れてこられて迷惑といった感じでした。ところが詳しい説明を聞き、実際に試してみて、母から出た言葉は「何でもっと早く来なかったのかしら」でした。数日後、母の耳にぴったりの補聴器が届けられ、初めて装着した時の一言は「まあ嫌だわ、歩くとスリッパの音がするのね。」でした。「まあ驚いた、川の水、流れていたのね。」子供のようにはしゃぎ、びっくりする様な感想が次々と…そして、「もう少し早くこの補聴器のこと知っていたら成人学校やめないですんだわね」とつぶやきました。先生の講義が聞き取りにくくなりやめたことを告白しました。強気な母が実は人知れずいろいろなものを諦めはじめていた頃だったのですね。母の生活に自信と安心が戻ってきたようでした。

 そして現在、補聴器は母の体の一部となっております。離れて暮らす家族にとって、七年前からずっと、まるで主治医のように電話一本で駆けつけてケアーして下さる長野補聴器センターさんには、感謝の気持ちでいっぱいです。丁度今、我が家に滞在している母ですが、私のつたない三味線の練習が始まると、これ見よがしに補聴器を外し「大丈夫よ、思う存分やってちょうだい。私の耳は便利なの、聞かなくていいものは聞かずに済むから」ですって。聞こえないのではなく、聞かない!余裕の選択です。耳だけでなく憎まれ口も健在です。

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