お客様の声

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※個人の感想です。

「補聴器は“福音”の使い」 長野市 A.S様

  

聴力の衰えを私が感じ始めたのは数十年も前からでした。当時、会社役員としての仕事に支障はなく、はた目にも私の気力、体力ともに充分とおもわれていたようです。

 

しかし加齢とともに、重要な会議、交渉ごとにのぞんだあと、はたして話をしっかり聞きとり適切な対応ができたろうか、と不安を感じるようになりました。

 

このため会社や関係者に迷惑をかけてはならないと、還暦前でしたが、ほどなく後進に道を譲ることにしました。リタイア後、私は「もうはまだなり。まだはもうなり」という人の進退去就についての戒めを実践したまでと思いながら、身辺にそぞろ粛条の感がぬぐえません。家族の目にも私は肩の荷が下りたというより、肩を落としていると映ったにちがいありません。

 

私の気持ちを引き立てようと家内をはじめ皆が、つとめて明るく大きな声で話しかけてくれました。ところが時々同じことを聞き返すため私にニックネームがついてしまいました。それは「何だって?おじい」。

 

それにしても「なぜ補聴器を使わないのか」という当然の疑問が家の中でも起こりました。理由はただ一つ、私の無知による“食わず嫌い”にあったのです。現役時代、ある先輩を訪ねた折り、話がたまたま聴力のことに及びました。その方の言われたのは「補聴器をいろいろ買ってみたがどれも役立たずなんだよ」と、しまいこんだままの補聴器を幾つか取り出しました。耳に不安を感じ始めていた私は、さっそく試してみましたが、たしかに聞きとりにくく、雑音が気になる“耳障り”の印象をもってしまったのです。それからは、耳が遠くなるのは年のせい―と独り合点、補聴器に対する関心はあまり持たなくなってしまいました。

 

ところが耳の聞こえが悪かったばかりに、交通事故を起こしたケースが身近に出たため長年にわたり無事故を誇りにしてきた私は、いまさらながら一瞬にして自他もろとも不幸につきおとす輪禍の恐ろしさに慄然とし、聴力を少しでも回復できないかと考え、いままで素通りしてきた補聴器センターを訪れたのです。

 

精密な聴力測定をふまえての適切的確な機器選定で、私は性能の卓越さに驚嘆を禁じ得ませんでした。まさに耳に詰めていた栓をとり出したように雑音なしで、よく聞きとれたからです。

 

以来「生涯修行」「人間性豊かな生活」を心がけつつ、いつしか足が遠くなっていた講演会、音楽会などにも出かけ人の輪に加わることの意義と楽しさを再び味わうことができるようになりました。それにニックネームで呼ばれることももうなくなりました。スタッフの揃った店で、よく選定した補聴器は、まさに体の一部となり、難聴の悩みから人を救い、活力とうるおいをもたらす“福音”の使いといっても過言ではありません。

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